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立った!そして今、ついに歩いた!

          脊髄損傷『完全四肢麻痺からの生還・その全記録』

 

1993年6月6日、森 照子さん(当時55歳)は自転車で転倒し、頭を強打して頚椎2~5番に損傷を受けて瞬時にして全身麻痺に陥ったのです。これは既往症であった後縦靭帯骨化症(OPLL)により骨化した靭帯が衝撃で折れて中枢神経に広範囲にわたり損傷を与えた為でした。

 脊髄損傷の内でも、その病態から最も悲惨で残酷と言われている頚髄損傷であり、しかも手術で首の後ろ側の骨(2~7番)全てを取り除くという破壊的な事故でした。
 専門医が『このままでは恐らく2~3日のうちに呼吸は停止するだろう』と予測したほどその症状は重篤であり、命だけは取り留め得ましたが、その代償として瞬きと自発呼吸だけの目を覆うばかりの「物体」と化してしまったのです。       

 高度に発達した現代の医学をもってしても治療法は無く、ましてリハビリテーションによる社会復帰等は到底考えられず、一生ベッド上での生活と宣告され、首の後ろ側全ての骨が取り去られたその頭は、枕から上げる事は出来ないだろうと言われたのです。当然あらゆる病院から入院を断られ続けました。

 しかしこのような絶望状態に中におかれてもなお決して諦めず、万に一つの可能性に賭けて自宅でのリハビリに取り組んだのです。
 その訓練は凄絶とさえいえる厳しいものであり、壮絶、過酷、どんな形容をもし難いものとなり、息を呑む気力と迫力で敢然と挑み続けたのです。
 何よりも8年間にわたり僅か8日間しか休めず、一日6時間の想像を絶する地を這う凄まじい努力の結果、ついにベッドから起き上がり、人間の尊厳を取り戻すと同時に、立ち、歩き、手が肩まで挙がるようになった8年間の全軌跡です。

森さんを知る全ての人は『奇跡が動かした』と言います。
しかし凍りつくような絶望という奈落の淵で、激しい懊悩を克服して歩くに至るまでには、迫真の気迫をもって厳しいリハビリに耐え抜き通してきた本人の努力と共に、その陰には、あたかも脇を支えて立ち上げ、歩かせてくれたかのような多くの人達からの善意があったのです。

 これこそが本当の意味の奇跡であり、その人達に報いる為に、また不幸にして脊髄を損傷して悲嘆に喘いでいる方達のためにも、このリハビリに携わった者として、ごく平凡な一女性が8年間という目の眩むような厳しい膨大な時間の中で、どのように生きてきたかを分かって頂けたら幸いです。

 垂直の壁に渾身の力を込めて穴を穿ち、指と爪を食い込ませ、ジリッ、ジリッと這い上がってきた不屈な努力に対して、また、生きる事への崇高さと共に、感動と勇気を与えてくれたことに心からの敬意と共に感謝しつつ…。


【第一章へ】

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